有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治探訪・徳川天ショウ院(篤姫)は日本で初めてミシンを使った👀‼️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→トクガワ=122→5で七大吉数の和合運です。長所は知恵・機知・柔軟性、短所は狡猾。


前半生運→テンショウイン=99―90=9で凶数の闘争運です。長所は行動力・明晰・迅速、短所は闘争・事件事故。


後半生運→トクガワ+テンショウイン=122+99=221→5で七大吉数の和合運です。長所と短所は上記に同じです。


一生運→ワ+テ=65で吉数の大衆運です。長所は和合・人気、短所はお調子者。


中和運→ト+ン=27で吉数の断行運です。長所は熟慮・実行力、短所は自説を変えられない。


運勢指数=3±0+3+1+1=+8でウルトラスーパー幸運な方です。


徳川天ショウ院・篤姫(満47歳没)は江戸時代後期~明治の女性で薩摩藩島津家の一門に生まれる。

1853年(17歳)島津斉彬の養女となる。

1856年(20歳)五摂家筆頭近衛家の養女となり江戸幕府第13代将軍徳川家定の御台所となる。家定に嫁いでから篤姫は故郷鹿児島へは一度も戻りませんでした。

1858年(22歳)家定が急死したため結婚生活はわずか1年9ヶ月であった。家定の死を受けて篤姫は落飾し天ショウ院(ショウの字が変換出来ませんのでご了承下さい)と名乗る。

1862年(26歳)朝廷から第14代将軍家茂の正室として皇女和宮が大奥へ入る事になった。

1866年(30歳)第15代将軍慶喜の大奥改革に対しては和宮と共に徹底的に反対した。

1867年(31歳)慶喜が大政奉還すると、その後の戊辰戦争により徳川将軍家は存亡の危機に立たされた。

その際、天ショウ院と和宮は島津家や朝廷に対して、徳川の救済と慶喜の助命に尽力した。天ショウ院は攻め上る官軍の西郷隆盛にも救済懇願の書状を書き、江戸城無血開城を前に大奥を立ち退いた。

明治になると東京千駄ヶ谷の徳川宗家邸で質素に暮らした。

1883年(明治16年)徳川宗家邸で脳溢血に倒れ1週間後に満47歳で死去。葬儀の時は沿道に1万人もの人々が集ったとの事です。

明治維新後は自分の所持金を切り詰めてでも元大奥関係者の就職・縁組に奔走していたため、死後に確認された所持金は現在の価値で6万円程しかなかったとの事です。

ところで、天ショウ院は日本で初めてミシンを扱った人物と言われているそうです。因みにそのミシンを贈ったのはペリー提督だと言われています。


うんだもしたん!篤姫さあは「徳川をどげんかして守らんといかん」とわっぜきばいやったもんで、まっこてひったまげもんした😍⤴️⤴️