有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治探訪・山本権兵衛は元遊女の奥さんを生涯愛し続けた❤️👫❤️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→ヤマモト=116→8で吉数の忍耐運です。長所は努力家・忍耐力、短所は試練・制限。


前半生運→ゴンベエ=135→9で凶数の闘争運です。長所は行動力・明晰・迅速、短所は闘争・事件事故。


後半生運→ヤマモト+ゴンベエ=116+135=251→8で吉数の忍耐運です。長所と短所は上記に同じです。


一生運→ト+ゴ=69で吉凶混合数の波瀾運です。長所は積極性、短所は無謀・事件事故。


中和運→ヤ+エ=40で吉凶両極数の無敵運です。長所はカリスマ性・無敵、短所は傲岸不遜。


運勢指数=1―1+1±0―3=―2で少し厳しい運勢です。


山本権兵衛(満81歳没)は薩摩藩士で海軍軍人から政治家になる。第16代22代内閣総理大臣・海軍大臣・外務大臣を歴任して「日本海軍の父」と言われた。

1869年(17歳)戊辰戦争に従軍後、西郷隆盛の紹介で勝海舟の薫陶を受け、開成所・海軍操練所・海軍兵学寮と海軍軍人の道を歩む事となった。

1878年(26歳)新潟の農民の娘で元遊女の登喜子と恋愛結婚で結ばれ、山本は夫人を生涯に渡って愛し続けた。

1887年(35歳)海軍大臣伝令使となり、海軍次官の欧米視察旅行に1年以上随行した。

1891年(39歳)海軍大臣・西郷従道に海軍大臣官房主事に任命され、日清戦争時には海軍大臣副官となる。

1898年(46歳)第2次山縣内閣の海軍大臣に就任し、日露戦争の終結するまでの8年間、事実上の海軍トップとして君臨した。

1904年(52歳)日露戦争開戦直前には、それまでの慣例を破り東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命した。

1913年(61歳)元老・大山巌の支持で内閣総理大臣に就任。

1923年(71歳)関東大震災の翌日、再度内閣総理大臣に就任。帝都復興院総裁を任命して東京の復興事業を推進した。

1933年(81歳)3月30日妻の登喜子が死亡。12月8日山本自身も前立腺肥大症のため高輪台の私邸にて死去した。

山本の私生活は質素であり「俸給の半分で生活している」と評されていた。また心が広く、小さな事にはこだわらない、さっぱりとしたユーモアのある性格であったと言われている。


山本権兵衛総理の一生は、お国のための奉仕の連続であったようです。こう言う明治の偉人がいたからこそ、今の日本がある事に深く感謝で有難いですね😉👍🎶