有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

あまりにも固くなりすぎた現代人の心と体


私達は日頃、物事にこだわり過ぎていないか。

こだわりを捨て「心身脱落」の境地で、ゆうゆうと人生を送りたいものである。


もし禅が、深山幽谷でゆうゆうと座禅を組んでいれば、心の中から全く悩みが失くなるというものであるならば、禅は私達にとって縁遠いものでしかありません。

私達は朝早くから夜遅くまで、毎日一生懸命働いています。仕事から離れて深山幽谷に入るわけには行きません。

従って、私達が血みどろになって働いている毎日が禅の道場であり、修行そのものなのだと私は捉えさせて頂いているのです

修行だと思えば、腹の立つようなことがあっても〝修行できて有難い。ようし、これを乗り越えるぞ〝というような気持ちにもなります。


先日、満員の都営バスに乗った時のことです。赤ちゃんを背負い、小さな女の子の手を引いた若いお母さんが乗り込んで来ました。混んでいましたから、乗車口のすぐ脇の席の前に立ちました。その席には若い女性が座って本を読んでいます。

私は〝席を譲ってあげたらいいのにな〝と思って見ていましたが、その女性は絶対に譲るまいと本に目を向けたまま体を固くしています。

若いお母さんの方も、その場を離れません。いくつかバス停を過ぎ、空席が目立ってきたのに、そのまま頑張っています。若い女性も必死の思いで本を読んでいます。

私は心の中で〝やっぱり、こだわっているんだなあ。この二人の心を思うと、本当にかわいそうだな、どんなに苦しいことだろう。どうして、もっと素直に出来ないのかな〝と思いました。


←赤根祥道先生著書「自己修養のすすめ・十大禅師に学ぶ人生の極意」

まえがき「一日を精一杯、人生をゆうゆうと生きる」から抜粋


私は都心部に出る時はJR中央線を利用します。車内両端には優先席がありますから、身体の不自由な方や赤ちゃん連れの方が乗り込んで来られると、皆様が席を譲られて実に微笑ましい限りです。

しかし時には混んでいるのに若者が優先席に座り素知らぬ顔をしています。私はそんな時は彼らの真正面に立ちます。すると彼らはなぜかそわそわし始めて次の駅では移動して行きます。中には頑固に座り続ける若者もいますので、私は隣の席が空いてもそのまま面前に立ち続けます。

〝彼らも仕事で疲れているだろうからかわいそうだな〝というおおらかな心境には中々なれず、全く修行の足りないコキコキの古希爺の私です。喝!