有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

この人は自分を夢中にさせるものを持っている


「ホンダ」の創業者・本田宗一郎は、天才肌の個性派だ。強烈な自動車野郎で、何でも自分の手で作り、自分が乗ってみなければ気がすまない。研究に没頭してしまったら、会社の経営等忘れてしまう。この強烈な個性と組める人はいなかった。

ところが、本田宗一郎が44歳の時、藤沢武夫(40歳)と出会った。二人とも自己主張の強い個性を持っている。藤沢武夫は、はっきりと自覚している。「私は人と組める男じゃない。それはわかっている。だけどこの本田という人となら、特に面白いんだ。私を夢中にさせるものを持っているからだ」

人と組めない藤沢武夫が、本田宗一郎に惚れ込んだ。一日24時間、そのうち20時間位は、二人だけで話し込む。話をしている内に、二人とも興奮してしまって、止まらなくなってくる。将来の夢を大声でまくし立てる。電車の吊革につかまったまま、大声で大きな夢を話しまくって行くのである。

本田宗一郎は、会社のハンコは見たこともさわったこともない。全て藤沢武夫に任せ切っている。藤沢武夫は営業を担当する。ホンダはこの時を境にして伸び出した。

「宗一郎は技術を、藤沢は金を」

この絶妙なパートナーシップは、二人の個性を個性として尊重しながら「ホンダ」を世界的企業に成長させて行った。本田宗一郎は独特の哲学を持って、技術陣の先頭に立って働いた。省エネ・低公害車の開発に全てをかけて挑戦し、CVCCエンジンを作り上げた。藤沢武夫は販売・経理の面でホンダを支え、伸ばし続けた。

二人はめったに顔を合わせることが無くなっても、いつも一緒にいるように呼吸はぴったり合っていた。「若い者が育ってきた。我々が頑張っていると悪い面ばかり出る。二人一緒に辞めようや」本田宗一郎は、会長も取締役も辞退した。藤沢武夫も同時に辞退した。最高顧問という商法にはない役職名が考え出されたのは、このためなのだ。

自己を忘れることが出来れば、人間は自由になれる。〝俺が〝〝俺が〝のレンズを外すことだ。損か得か等という判断にこだわっていると、大物にはなれない。

自我を離れて、身心を脱落して行くことを目標にすることが何よりも大切なことなのだ。


←赤根祥道先生著書「自己修養のすすめ・十大禅師に学ぶ人生の極意」の「第一章  ビジネスに生きる人の人生修行・道元禅の極意に学ぶ」から抜粋


最後の「自己を忘れることが出来れば、人間は自由になれる」に着目しました。

私が二度目のリストラになった時は、本当に困りました。4人の子供達が高校・大学と次々に進学して行く頃でしたので、リストラ宣告を受けた時は一瞬、頭が真っ白になりました。信越地方の不動産建設会社に転職して10年近く頑張って、やっと取締役営業部長になれた頃でした。ところが銀行の会社再建指導で給与の高いものから3名(専務・取締役建築部長・私)のリストラ命令が出たのです。

早速、ハローワーク通いを始め、同業他社の社員募集情報の収集にも奔走しました。するとまさに「捨てる神あれば拾う神あり」で市内の同業2社から幹部社員としてのスカウトの声がかかりました。この時は涙が出るほど嬉しかったです。普段から業界の会議や懇親会に積極的に出席して社長さん達とふれあいを重ねていたお陰です。

こうなると不思議なもので人間の心は自由になり、大きく羽ばたくようになります。ハローワーク紹介で地元大手建設会社の関連商事会社の事業部長募集の面接も受けました。1次面接に合格して2次面接は親会社の役員会面接となりました。役員質問が終わり、最後に創業者会長から「3分あげるので何でもいいから話してみなさい」と言われました。私はとっさに「会社の発展は99%が社員の力で、社長の力は残りの1%です。しかし、お金の管理だけは99%が社長の責任で社員には1%しか任せられません」と言い放ちました。すると会長が突然大声で笑い出して「50年この会社をやっているけど俺に説教した奴は初めてだぞ。よし、採用!」と即決となりました。

まさに「最悪は最善に通ず」「ピンチの後にはチャンスあり」を体験させて頂きました。