有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

小事にとらわれ大事に敗れてはならない


「つまらない小事に心とらわれることなく、広く大きく自由な天地に心を翔(かけ)る豊かさ取り戻すことだ」


考えてみると、人間は実につまらなく、とるに足りないことにこだわり続けて生きている。本来、心はもっと大きく自由なものなのに、それを小さく暗いところに押し込める努力を重ねて、自分も苦しんでいる。心は広大で光輝いているものなのだ。本来の心を取り戻すのだ。


「三井一族の感謝のしるしです


ビジネスの世界では、平気で裏切りが行われる。ドン底に落ち込むと、みんなで寄ってたかって踏みつけにする。上昇してくると、妬みやそねみで足を引っ張る。

藤原銀次郎の大改革で、さしものボロ会社も年々立ち直ってきた。規律は良くなり、事故は減少し、利益が上がってきた。十円のボロ株は配当がつく頃になると、額面五十円をマークするまでに回復してきた。藤原銀次郎の財産は五倍に跳ね上がり、三井グループの中には、妬んで中傷する者が少なくない。

「藤原は三井の王子を自分の王子にしているのではないか。許しておくのは問題だ。交代させるべきだ」三井物産は、お荷物の王子製紙を藤原銀次郎に押し付けたことを、すっかり忘れてしまっている。「藤原は生産と販売を独占している。製紙は王子でやり、販売は三井物産にやらせるべきだ。利益を独占するのは止めさせなくてはならない」藤原銀次郎はそんな非難にくじけるような男ではない。

しかし味方をしてくれる人が一人もいないのは、どうにも寂しかった。「どうして人間はこんなに心が狭いのだろうか。大三井の中に、具眼の士はいないのか」藤原銀次郎の心は、怒りと寂しさで今にも爆発寸前であった。

そんなある日、三井総本家の当主・三井八郎右衛門から電話で呼び出しがあった。本家の呼び出しなど、誉められることではあり得ない。「首だな」と直感した藤原銀次郎社長は、本家に向かった。机の向こうに、三井八郎右衛門がにこやかに座っている。藤原社長を見ると「寸志」と書いた奉書を持って、手渡しながら温かく言った。

「あなたが王子製紙を立派に独力で立て直して下さって、三井一族は大変感謝しています。これは甚だ僅少ですが、一族の感謝のしるしです。どうかお納め下さい。あなたの努力と苦労に心から敬意を表しています。ありがとう」

藤原銀次郎の目に涙が光ってきた。ぼっとかすんで当主の顔が見えなくなった。この瞬間に藤原銀次郎のこだわりは、氷が溶けるように流れ去って行ったのである。「人間は大いなる心を持って生きなくては、本物になれない」この瞬間、藤原銀次郎は禅の心を自ら悟った。人間がぐんと大きくなったのである。


←赤根祥道先生著書「自己修養のすすめ・十大禅師に学ぶ人生の極意」の「第二章  心身不動の胆力を養う・栄西禅の極意に学ぶ」から抜粋


今回は冒頭部分の「広く大きく自由な天地に心を翔る豊かさを取り戻すことだ」「心は広大で光輝いているものなのだ。本来の心を取り戻すのだ」という箇所に着目しました。

私は二回目のリストラを受けた会社に専務で呼び戻され、P店全国チェーンの超大手企業との裁判で対等和解を勝ち取った後に、社長に任命されました。喜んだのもつかの間、次の月からは毎月始めにメイン銀行本店融資部から担当者二人が来て、私と経理担当者が支店に呼び出された上に、前月の売上報告と今月の売上目標と具体的達成方法の説明を求められました。「針のむしろ」とはまさにこの事かとしみじみ思いました。

しかし、銀行管理寸前の会社のピンチを救うために、肚を決めて銀行と相談しながら赤字二部門の建築部とP店二店舗の廃止に挑みました。創業50年の会社ですから、当然激しい抵抗がありました。隣県にあったP店二店舗は幸い土地建物を所有していましたので、P店の同業他社に賃貸することにして従業員もそのまま同業他社に継続雇用してもらいました。

建築部は大半をリストラしましたが、建築課長は1000軒近くのOB客名簿と共に、私が一回目のリストラを受けた建設会社に引き取ってもらいました。一回目のリストラを受けた会社に久々に挨拶に行き、引き渡しの詳細を打ち合わせた後に帰ろうとすると、何とその会社の社長始め役員全員が玄関先まで出てきて見送ってくれました。何しろリストラした元社員が黒塗りの高級車に乗って社長として現れ、リフォーム部門にとっては宝物の1000軒の顧客名簿を無償で譲ってくれたのですから、度肝を抜かれたことでしょう。

「恩を仇で返す」とはよく言われますが「仇を恩で返した」のは始めての経験でした。