有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治探訪・高杉晋作は美人妻と芸妓のやりくり上手👀‼️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→タカスギ=90で凶数の破壊運です。長所は減殺せざるを得ない事柄には適、短所は破壊的・破滅的・暴力的。


前半生運→シンサク=44で吉凶両極数の奇人運です。長所は聖者・教祖・神秘性・特異性、短所は一歩間違えば奇人。


後半生運→タカスギ+シンサク=90+44=134→8で吉数の忍耐運です。長所は努力家・忍耐力、短所は試練・制限。


一生運→ギ+シ=70で吉凶混合数の強情運です。長所は信念強し、短所は憂い・固執。


中和運→タ+ク=24で七大吉数の千金運です。長所はお金持ちになる・人々に好かれる、短所は努力を怠ると全く逆になる。


運勢指数=―1―3+1±0+3=±0で可もなく不可もなく丁度ほど良い運勢です。


高杉晋作(満27歳没)は幕末に長州藩の尊王志士として活躍し、奇兵隊等諸隊を創設して長州藩を倒幕へ導いた。

10歳の頃に疱瘡を患い、一命はとりとめたがあばたが残った事から「あずき餅」と呼ばれた。

1852年(13歳)藩校明倫館に入学して柳生新陰流剣術を学び免許皆伝となる。

1857年(18歳)吉田松陰主宰の松下村塾に入り久坂玄瑞らと共に「松下村塾四天王」と呼ばれた。

1860年(21歳)江戸遊学から戻り萩城下一の美人と言われた山口町奉行井上平右衛門の次女雅(当時16歳)と結婚した。4年後には長男梅之進が生まれる。しかし下関の芸妓おうのを妾にしており、そのやりくりに苦労する。

1862年(23歳)中国上海留学に派遣され植民地の悲惨さを学ぶ。

1863年(24歳)長州藩が米仏との下関戦争に惨敗、晋作は藩から敗戦交渉と下関の防衛を任される。

1865年(26歳)第二次長州征伐に備えて晋作は農民や町民も加えた奇兵隊を組織して防衛力を強化した。

1866年1月桂小五郎と共に薩長同盟を成立させる。6月第二次長州征伐に対して晋作は長州藩海軍総督として「丙寅丸」に乗船戦闘指揮して、幕府軍に大勝利する。

1867年(27歳)5月16日下関で肺結核を治療中に死去。辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」

後年、伊藤博文は晋作を偲んで「あの時、高杉が米仏との彦島租借要求問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう」と讃えた。


いやぁ、幕末に日本を海外列強から救った英雄高杉晋作がいたとは凄い事です😆⤴️