有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治探訪・岩崎弥太郎は獄中にて商人から算術や商法を学ぶ👀‼️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→イワサキ=72で凶数の空虚運です。長所は保身練達、短所は発展性無し。


前半生運→ヤタロウ=97―90=7で吉数の信念運です。長所は強い意思、短所は孤立・頑固。


後半生運→イワサキ+ヤタロウ=72+97=169→16で七大吉数の天福運です。長所は幸運・リーダー的、短所はやや横柄。


一生運→キ+ヤ=46で凶数の瓦解運です。長所はやや悪運あり、短所は無に帰す。


中和運→イ+ウ=8で吉数の忍耐運です。長所は努力家・忍耐力、短所は試練・制限。


運勢指数=―1+1+3―1+1=+3でとても幸運な方です。


岩崎弥太郎(満50歳没)は土佐藩出身の実業家で三菱財閥の創業者。

1855年(20歳)父親が庄屋との酒席の喧嘩で投獄されたため、遊学先の江戸から戻り奉行所に掛け合うが認められず、壁に奉行所を誹謗中傷する落書きをしたために投獄された。この時、獄中にて同房の商人から算術や商法を学んだ事が、後に商業の道へ進む機縁となった。

1858年(23歳)吉田東洋の少林塾へ入り、吉田のおいの後藤象二郎の知遇を得る。

1866年(31歳)後藤から土佐藩開成館長崎商会の主任を命じられる。

1869年(明治2年)土佐藩は海運業私商社として土佐開成社、後の九十九(つくも)商会を立ち上げ、弥太郎は事業監督を担当した。

1871年(明治4年)九十九商会の経営者となった弥太郎は藩船3隻の払い下げを受け、貨客船運航を開始して高知~神戸航路、東京~大阪航路は上げ潮となる。

1872年(明治5年)九十九商会は三川(みつかわ)商会となりさらに翌年「三菱商会」へ社名変更する。

1874年(明治7年)本社を東京日本橋へ移転して「三菱蒸気船会社」に社名変更する。

この時、土佐藩山内家の三つ柏紋を元にして、現在広く知られる三菱のマーク「スリーダイヤ」を作った。

弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時の事である。新政府の高官となっていた後藤象二郎からこの情報を事前に聞き出し、10万両の資金を都合して藩札を大量に買い占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。今で言う「インサイダー取引」を日本で初めて行った弥太郎は、最初から政商として暗躍したのである。


いやぁ、投獄されても同房の商人に商売の基礎を学ぶとは、転んでもタダでは起きない図太さが、あの大三菱を生んだと思うと驚きです😍⤴️⤴️