ストレスをストレスと感じなくなったら要注意!
一番混雑した時間帯になると、300%以上もの通勤客を乗せて走る満員電車。とても人間を運ぶものとは思いませんが、この電車にギューギュー詰めにされている当の本人達は、果たしてその状況を本当にイヤだと思っているのでしょうか。
そう聞かれれば確かに殆どの人はイヤだと答えるでしょうが、実際に自分が電車に揺られている時の事を思い出してみると、案外イヤだとも思わないで、殆ど何も考えない状態で乗っているのではないでしょうか。
私自身は、仕事柄や場所柄、通勤電車に乗り合わせる事は殆どないのですが、それでもたまに、通勤の時間に都心に出なければならない様な事があります。以前勤務医だった頃には〝痛勤〝を体験していますから、その時の事を思い出すと、とてもその様な電車に乗る気にはなれません。そこでわざと時間をずらしたり、わざわざ遠回りをしたりして、何とか避けて通っているのです。私だけでなく、滅多に通勤電車に乗らない人なら、同じ様に嫌悪感を持ったり、それから逃れる方法を工夫しようとするはずです。
一方サラリーマンの方等は、満員電車に毎日乗っている訳ですから、もう慣れっこになっていて、その慣れによって殆どイヤだという感情は出て来ないのではないかと思われます。つまり、思い出してみればイヤだけれども、実際電車に乗って揺られている時は殆ど無意識の状態で、ただ機械的に身体を運んでいるのではないでしょうか。これは、自分の身体からの要求が、耳に届かなくなってしまっている事を意味しています。
勿論これは、鉄道各社を非難している訳でも、サラリーマンの方の感覚を疑っている訳でもありません。通勤電車とは、社会全体、地球全体の「場」が、まさに人間を機械化させる様に歪んでいる事の典型であると思えるのです。
←帯津良一 著「帯津博士が提唱する〝心・食・気〝の三原則 自然治癒力」からご紹介させて頂きました。
☆私は大学生時代に地下鉄丸ノ内線を利用して新中野からお茶の水まで満員電車で通学していました。特に赤坂見附駅手前の急なカーブでは、下手な運転手がスピード調整を誤るとギューギュー詰めの乗客が片方に押し潰されて危険でした。一度ドア近くのタテ型金属棒に腕を押し付けられて、危うく骨折するかと思う程痛かった事があります。また同じ様な所で一度大きな地震が来て緊急停車し、かなりの時間の経過と共に暗闇の中で恐怖心に襲われた事があります。それがトラウマになったのか、今でもなるべく地下鉄には乗らないルートを選んでいます。
現在は再びコロナ拡大期なので用心して、新橋の会社には用のある時以外はめったに出勤しません。出勤する時はラッシュアワーを避けて会長や社長よりも遅く「顧問時間」でゆったりと出勤して、帰りも夕方のラッシュアワーを避けて会長や社長よりも早く帰る様に用心しています☺️
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