有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治探訪・徳川慶喜は正室と側室と一緒にY字型で就寝👀‼️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→トクガワ=122→5で七大吉数の和合運です。長所は知恵・機知・柔軟性、短所は狡猾。


前半生運→ヨシノブ=142→7で吉数の信念運です。長所は強い意思、短所は孤立・頑固。


後半生運→トクガワ+ヨシノブ=122+142=264→12で吉凶混合数の分裂運です。長所はある程度の発展、短所は中々結果が出ない。


一生運→ワ+ヨ=83で七大吉数の怜俐運です。長所は真の英知・啓蒙能力・指導力、短所は過ぎるとクール。


中和運→ト+ブ=85で吉数の天啓運です。長所は次元の違う知性、短所は内容によっては理解を得にくい。


運勢指数=3+1±0+3+1=+8でウルトラスーパー幸運な方です。


徳川慶喜(享年77歳)は水戸藩主徳川斉昭の七男で、1867年1月に徳川幕府最後の第15代将軍となり、同年11月には朝廷に大政奉還を致しました。

正室一条美賀子は4女を生みましたが何れも早世しました。慶喜が将軍になる前後は暗殺を恐れて、寝所では慶喜と正室美賀子と側室の三人でYの字型で寝ていたとの事です。

側室は一色須賀、新村信、中根幸など30人いたと言われています。明治維新後に謹慎蟄居を解かれて水戸から静岡に移る際は、側室は信と幸の二人に絞られ、新村信は5男5女、中根幸は5男4女を生んだとの事です。

維新後の監視役勝海舟が亡くなってからは、静岡から東京の巣鴨(3000坪の土地に建物400坪)に移り、その後小石川(3000坪の土地に建物1000坪)に転居しましたが、さすがに元800万石の将軍様は隠居後の住まいのスケールも桁違いですね。

晩年は皇太子時代の大正天皇とウマが合い、毎年10回程も皇太子の御所を訪問しては歓談していたとの事です。

慶喜は1913年(大正2年)に77歳で亡くなりましたが、31歳の明治維新後はカメラや自転車を始め沢山の趣味を楽しみ幸せな晩年であった様です😌🌸💓