有名人姓名判断のブログ

今話題の有名人の運勢を古神道由来の数霊術姓名判断にて占ってみたいと思います。

幕末~明治・板垣退助は自分を襲った暴漢の恩赦を願い出👀‼️


古神道由来の数霊術姓名判断をさせて頂きます。カタカナ読みで診断致します。


祖先運→イタガキ=82で凶数の苦悩運です、長所は解脱の可能性、短所は実世界には全く不向き。


前半生運→タイスケ=43で吉凶混合数の虚空運です。長所は解脱の可能性、短所は浪費・現実感欠如。


後半生運→イタガキ+タイスケ=82+43=125→8で吉数の忍耐運です。長所は努力家・忍耐力、短所は試練・制限。


一生運→キ+タ=26で吉凶両極数の任侠運です。長所は男気・剛胆、短所はわがまま・短気。


中和運→イ+ケ=14で吉凶混合数の排他運です。長所はそつがない・知性的、短所は排他的・クール。


運勢指数=―1±0+1―3±0=―3でとても厳しい運勢の方です。


板垣退助(満82歳没)は土佐藩士で幕末は勤王の志士として活躍し、明治維新後は政府の中枢として伊藤博文や大隈重信と並ぶ「憲政の三巨人」の一人と称されました。また常に国防を重視し近代日本陸軍創始功労者の一人です。

戊辰戦争の際は東征官軍の指揮官として甲州街道で近藤勇率いる幕府軍を撃破。甲府へ入る直前には「乾退助」から甲斐武田信玄ゆかりの重臣で先祖に当たる板垣信方にちなんで「板垣退助」と名乗り、幕府の圧政に苦しんでいた農民達からは大歓迎を受けたそうです。

1882年(明治15年)岐阜遊説中に暴漢相原某に襲われ負傷します。この時出血しながら「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を吐いています。明治天皇は板垣負傷の報に接し「板垣は国家の元勲なり」と心配されたそうです。

1887年(明治20年)戊辰戦争の武勲と明治維新の功労を賞せられ「伯爵」の地位を賜り「華族」に列せられます。

1889年(明治22年)「大日本帝国憲法発布」による恩赦に関して、板垣を刺した相原某の恩赦嘆願書を明治天皇に提出する。すでに板垣の願いで極刑から無期懲役になっていた相原某は釈放された。後日相原某は板垣を直接訪ねて深く詫びたとのことである。

1919年(大正8年)肺炎のため死去。この時遺族は華美な生活を戒める板垣の遺言に従い「華族」を一代限りとして返上したとのこと。


板垣退助の一生は波乱万丈でしたが、敵をも許すその心根の優しさには驚きました😍⤴️⤴️